ロシア帝国で活躍した作曲家、モデスト・ムソルグスキー。皆様が思い描くムソルグスキーのイメージは、『展覧会の絵』や『禿山の一夜』の作品に加え、髭を生やした小太りの男性というものではないだろうか?曲紹介に際し、彼の生涯を少し紐解いてみよう。
ムソルグスキーがリューリクの地主階級の家に生まれたのは1839年。この頃ヨーロッパでは18世紀末からの革命の風が吹き荒れた結果、大衆の政治参加が進み、市民社会が成熟していく変化の時代となっている。ムソルグスキーが生まれ育ったロシア帝国でも、領土拡大の失敗や農奴解放、皇帝の専制強化や暗殺事件など、彼の生きた42年間は、激動の時であった。
ムソルグスキーは、この激動のロシア帝国で多くの作品を残した。彼の本職は官吏であったため、「ロシア5人組」のまとめ役的存在のミリー・バラキレフに作曲を師事し、作曲活動と公務を両立する生活を送っていた(「ロシア5人組」内でもボロディンは化学者、リムスキー=コルサコフやキュイも軍人としての傍ら作曲活動をしていた)。しかしその生涯は決して順風満帆なものではなく、家族や友人との死別や公務の喪失、若い頃より悩まされた深刻なアルコール依存症と闘い、「ホヴァンシチナ」など未完の作品を残し、1881年に心臓発作により42歳の短い生涯を閉じている。
ムソルグスキーをはじめとした「ロシア5人組」が活躍した時代の音楽は、古典派からロマン派へと変化していった時代であるとともに、ロシアや東欧・北欧では民族主義の高揚に合わせるかのように、自国の民謡や民族音楽の音楽語法、形式を重視されることとなった。ムソルグスキーもまた、歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』(原作:プーシキン)や『ホヴァンシチナ』のようなロシアの史実に基づく作品や、『禿山の一夜』のように民間伝承をモチーフにした作品を多く残し、その中で後世の印象主義につながる技法を用いていった。
今回演奏する組曲『展覧会の絵』もまた、ムソルグスキーを代表する作品の一つだ。彼はこの作品を1874年の6月から約3週間で作曲しているが、その経緯には、彼の親友の死があった。
ムソルグスキーには、1870年頃より画家のヴィクトル・ハルトマンと友好を深めていた。ハルトマンは、伝統的なロシアのモチーフを自作にとり入れた美術家の一人だったが、1874年に39歳の若さでこの世を去ってしまう。ムソルグスキーは、ハルトマンの母校ペテルブルク美術アカデミーで開催された遺作展での作品に触発され、同年7月に展覧会を訪れた際の散歩(プロムナード)の様子、作品の印象を音楽に仕上げた組曲『展覧会の絵』を完成させた。この組曲は当初独奏ピアノによるものだったが、ムソルグスキーの存命中には初演・出版はされなかった。ムソルグスキーの死後、彼の遺稿整理にあたったリムスキー=コルサコフによって校訂され、1886年に楽譜が出版された。
ピアノ曲からオーケストラへの編曲については、リムスキー=コルサコフの弟子・トゥシュマロフやアメリカの指揮者・ストコフスキーによるものもあるが、現在多く知られているのは、フランスの作曲家、モーリス・ラヴェルによるものだ。以前からムソルグスキーの音楽に関心を持っていたラヴェルは、1922年にロシアの作曲家・クーセヴィツキーに委嘱され、リムスキー=コルサコフ校訂版を基に大管弦楽用に編曲し、この作品は同年パリ。オペラ座にてクーセヴィツキー指揮で初演された。そして、この編曲が『展覧会の絵』という作品が世界的に有名となる契機となった。
今回演奏する『展覧会の絵』は、そのラヴェル編曲版だ。本作品には「管弦楽の魔術師」と称されたラヴェルのオーケストレーションが遺憾なく発揮されており、原曲の土着的要素を踏まえつつ、華麗で色彩感あふれる洗練された作品となっている。
本作品はハルトマンの絵の印象を描いた10曲と、散歩道の様子を表現した「プロムナード」4曲、「死せる言葉による死者への呼びかけ」の計15曲で構成されている。
冒頭は「プロムナード」では、独奏トランペットをはじめとした黄金の金管セクションによる、5/4と6/4の変拍子の有名な旋律が奏でられ、木管・弦楽器が呼応する形で進行する。
続く「小人(グノーム)」では、弦・木管楽器のおどろおどろしい音色が地底の財宝を守る小人の様子を表現する。
短いプロムナードを経由し、中世の古城で吟遊詩人が歌う様子を表現した「古城」へと進む。この「古城」では、アルト・サクソフォンが哀愁深い旋律を奏で、最後は消え入るように終結する。
3度目のプロムナードの後の「テュイルリー」では、木管楽器の軽やかな旋律により、パリのテュイルリー公園での子どもたちが戯れる様子を表現している。続く「ヴィドロ」では、牛車のような重苦しい足取りを独奏テューバが悲壮感に満ちた雰囲気で旋律を奏でている。
4度目のプロムナードに続いては、「卵の殻をつけたひな鳥のバレエ」だ。この作品はハルトマンが描いた衣装デザインに基づくもので、ひなのさえずりを表現したフルートやスネアドラムの技巧が印象的なものとなっている。続く「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」では、木管。弦楽器によるサミュエル・ゴールデンベルク(金満のユダヤ人)の威厳に満ちた旋律とミュート付きトランペットの貧弱で落ち着かないシュミュイレ(貧乏なユダヤ人)の旋律が対照的に表現され、やがて交ざり合う。
ピアノ独奏版ではプロムナードが入るが、ラヴェル編曲版ではカットとなっており、「リモージュの市場」へ続けて進む。リモージュは陶磁器の産地として有名なフランス中部の町で、市場に集った人々の会話が休みなく表現されている。続く「カタコンブ」は文字通り古代ローマの地下墓地のことで、オルガンのような金管セクションが分厚いアンサンブルを奏でられる。その後の「死せる言葉による死者への話しかけ」は、プロムナードの旋律に基づくもので、亡きハルトマンへの追悼の意も感じることができる。
そして、力強い「鶏の脚の上の小屋-バーバ・ヤガー-」が始まる。このバーバ・ヤガーはロシア民話に登場する魔女のことだが、ムソルグスキーはハルトマンが描いた時計のデザイン画と、この民族伝承を結び付け作品としている。曲は空中を飛び回る魔女のおぞましい姿を表現しており、荒々しいリズムや金管楽器の勇壮なファンファーレが結びつき、そのまま熱狂のもと終曲「キエフの大門」になだれ込む。
終曲「キエフの大門」は管楽器とティンパニによる雄大な合奏から始まり、聖歌や鐘の音色も加わり、プロムナードの旋律も再現され、輝かしい響きとともに管弦楽による大合奏が鳴り響く。ハルトマンの遺志を継いだムソルグスキーの思い、そして華やかなラヴェルのオーケストレーションが合わさった壮麗な音楽で、フィナーレを迎える。
組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキー・ハルトマン・ラヴェルをはじめとした多くの芸術家たちの思い、活動の軌跡が一体となった作品である。現在新型コロナウイルスによる影響を我々も多く受けているが、我々Musica Promenadeは、今こそオーケストラによる力強い演奏、芸術家たちの意思、社会活動の必要性を本作品の演奏通じて問うていきたい。
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