第17回演奏会

日時

2023年2月23日(木曜・祝日)13:30開場 14:00開演 入場無料

会場

たましんRISURUホール 大ホール
東京都立川市錦町3丁目3−20(地図)

プログラム

曲名をタップすると、プログラムパンフレットに掲載していた曲紹介をご覧いただけます。

  • J.シュトラウスII
    喜歌劇「こうもり」序曲

    ヨハン・シュトラウスII世はオーストリアのウィーンに生まれ、生涯のほとんどをポルカやウィンナ・ワルツの作曲に捧げました。「美しく青きドナウ」、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」など、現在でも愛される様々な楽曲を生み出しました。後に彼はブームとなっていた「オペレッタ(喜歌劇)」の分野にも進出し、「こうもり」などの名作を生み出しました。

    「オペレッタ(喜歌劇)」とは、19世紀中頃のパリが発祥とされる歌劇の一種です。軽妙なストーリーと歌による庶民の娯楽的作品で、コメディ的要素が強く、ハッピーエンドで終わる作品が主流となっています。中でも「こうもり」は数あるオペレッタの中でも最高峰の一つとされ、現在でも上演機会の多い作品です。では、ストーリーを簡単に紹介しておきましょう。

    ファルケ博士とその友人アイゼンシュタインは仮装パーティに参加し、ファルケは「こうもり」 の仮装をしていました。彼は酔い潰れたあげく、その格好のまま路上に置いてきぼりにされ、子供たちから「こうもり博士」というあだ名付けられるなど、散々な目に遭ってしまいます。

    数年後、ファルケは自分を陥れた悪友アイゼンシュタインに復讐すべく、とある仮面舞踏会に誘います。そして、アイゼンシュタインの妻ロザリンデたちをも巻き込んだ様々な「罠」を仕掛けていくことになります。「復讐」と聞くとシリアスな物語を思い浮かべるかもしれませんが、そこはあくまでコメディ。まるでシュトラウスの華やかな音楽に乗せたコントでも見ているかのような、どこかクスッと笑ってしまう、楽しく親しみやすいものとなっています。興味を持たれた方は是非一度、全編をご覧頂ければと思います。

    前置きが長くなりましたが、今回はこの「こうもり」から序曲を取り上げます。序曲とは、歌劇の冒頭に演奏される曲で、本編の予告という役割もあり、物語のハイライトとして各場面のメロディが散りばめられています。元気な序奏が笑いの復讐劇を予感させると、続いてオーボエが柔らかなメロディを演奏すると、劇中の様々な曲が登場していきます。鐘が6回鳴るという物語に倣った演出の後、第2幕最後のワルツや「ロザリンデの嘆き」などが登場し、ポルカ風の楽しいメロディが出てきます。最後はこれまで出てきたメロディが賑やかに再現され、うきうきした気分の中で終わります。

    ムジカ・プロムナード第17回演奏会の幕開けにふさわしい、明るく楽しい1曲です。演奏する側としては難しく緊張するポイントも多い曲ではあります(チェロも例外でありません)が、この楽しさを皆様にお伝えできるよう全力で演奏します。ぜひお楽しみください!

  • F.リスト
    ピアノ協奏曲第1番(ピアノ 藤浦有花)

    エンゼルスの大谷翔平が163キロの球を投げたが、元巨人軍の金田正一の全盛期はもっと速かったという説がある。更に遡って、沢村栄治は170キロ出ていた、という人もいる。スピードガンが無かった時代のことだから確かめようもないので、スーパーレジェンド達が大谷を超えていた可能性も否定はできない。

    確かめようがないという点では、人類史上最強ピアニストは誰か、という話も同様であるが、こちらに関しては誰に聞いても、第1位はフランツ・リストで間違いなさそうだ。録音の無い時代に活躍したにもかかわらず、彼にまつわる多くのエピソードがそれを裏付ける。

    「リストの手には指が6本ある」という噂が広まるほど、彼の演奏テクニックは群を抜いており、加えて初見能力も超人的だったようだ。リストの初見演奏時の譜めくり担当者は、「彼は常に16小節先を見ながら弾いていた」と証言している。演奏のダイナミックさにおいても、リストの右に出る者はいなかった。彼が弾く際は、弦が切れハンマーが折れる、ということが日常茶飯事だった。私が小学生の時に使っていたアーム筆入れという筆箱は、「像が踏んでも壊れない」というCMで有名になったのだが、ウィーンのピアノブランド「ベーゼンドルファー」は「リストが弾いても壊れない」をキャッチコピーにしてシェアを拡げたという。

    そして、リストは超が付くイケメンだった。リサイタルには女性客が殺到し、演奏が始まるやいなや、失神者が続出したというから、現代のジャニーズ軍団でも足元にも及ばない、空前絶後のスーパーアイドルだ。そんなリストが作るピアノ協奏曲とは、いったいどんなものになるのだろうか。何十人ものオーケストラを引き立て役にして、自分のテクニックを余すところなく披露するための曲…。つまるところ、彼のナルシズムを極限まで追い求めたであろうことは想像に難くない。失神者の数は定かではないが、おそらくこの曲で記録更新したであろう。
    そんなピアノ協奏曲第1番で、本日ソリストを務められるのは、私の師匠でもある藤浦有花先生である。先日のレッスンの時に、この曲について語っていただいたところによれば、一言で表すとリストらしさがギュッと詰まった一曲。つまり、とんでもなく難しく、且つとんでもなく美しいのだ。また、演奏には非常に体力を要する。譜面の上では4つの楽章に分かれてはいるのだが、ほぼ連続して演奏されるため、約20分間に渡って、一息つける瞬間が無い。ペース配分もヘチマもない20分間の全力疾走だ。ソリストにとっては大変だが、逆に聴く側としては、引き込まれっ放しの「麻薬のような20分間」となる。本日私は、2ndバイオリンの位置で、先生の後ろ姿を見ながら弾く、という幸せな時間をいただけるので、自分が失神しないように気を付けて弾こうと思う。

  • P.チャイコフスキー
    交響曲第4番
    ロマノフ王朝下のロシア帝国を代表する作曲家の一人、ピョートル・チャイコフスキー(1840-93)。彼が生を受けた 1840年当時のヨーロッパでは、18世紀末からの革命の風が 吹き荒れた結果、大衆の政治参加が進み、市民社会が成熟していく変化の時代となってい る。チャイコフスキーが生まれ育ったロシア帝国でも、領土拡大の失敗や農奴解放、皇帝 の専制強化や暗殺事件など、彼の生きた 43 年間のロシア帝国は激動の時代であった。チャ イコフスキーの人生もまた、劇的で苦難とともに歩んだものだった。14歳で最愛の母を失った後、本格的に音楽活動を開始するが、はじめは法律学校を卒業後文官として生計を立てている。音楽院を経て音楽活動に専念するのは23歳の時で、他の作曲家と比較すると遅いものであった。

    チャイコフスキーが活躍した時代は、バラキレフ率いる「ロシア5人組」もまた活躍しており、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフらが多くの作品を発表している。当時のロシア音楽は、古典派からロマン派へと変化していった時代であるとともに、ロシアや東欧・北欧では民族主義の高揚に合わせるように、自国の民謡や民族音楽の音楽語法、形式を重視された。今回演奏する「交響曲第4番」でもロシア民謡が引用されているが、チャイコフスキーは民族主義的な彼ら5人組の音楽と比較するとより国際的な視点を併せ持っており、西ヨーロッパの音楽とロシア的な感性を合流させ、自身の作品としているように見受けられる。

    現在では人気作曲家の一人であるチャイコフスキーだが、上述の通りその人生は苦難の連続であり、作曲活動も決して順風満帆なものではなかった。最初期の作品である交響曲第1番「冬の日の幻想」や幻想序曲「ロメオとジュリエット」は、批評のうちに何度も校訂を重ねることとなり、「ピアノ協奏曲第1番」もまた、作曲当初は演奏不可能と非難されている。4番目の交響曲を作曲しはじめた1877年当時も、バレエ「白鳥の湖」の初演が失敗に終わり、チャイコフスキー自身が再演を拒否するほど落ち込んでいる。

    そして、私生活において幸福とは言えない出来事が起こっていた。見ず知らずの女性から熱烈に求婚され、結婚したものの失敗に終わったのだ。結婚後の生活が上手くいかなかったチャイコフスキーは、モスクワ川で自らの命を絶とうとするほど精神的に追い詰められた結果、突然彼女の元を去る形で破局した。さらに彼女は離婚に納得することはなく、その後も手紙を送って彼を悩ませたという。「恋愛」というものは時に人に力や勇気を与えるが、ある時には人を惑わせ絶望を与える。古来より不安定要素が多いものだが、1877年当時のチャイコフスキーもまた、恋に翻弄され、自分を見失っていた一人なのだろうか。

    その後チャイコフスキーは、一連の結婚騒動で衰弱した心と体を癒すため、スイス連邦や統一間もないイタリア帝国に滞在し、作曲していた歌劇「エフゲニー・オネーギン」の完成や「ヴァイオリン協奏曲」の作曲などを行っている。今回演奏する「交響曲第4番」 もまた、風光明媚なヴェネツィアのホテルで作曲しているが、運命との闘いや悲愴感が漂う作風など、彼の前期3作の交響曲の作風と比較すると明確に異なるものが見受けられ始めている。先述の失恋経過と心身の衰弱によるものもあるのだろうか。

    交響曲第4番は、力強い表現や深化した鋭い管弦楽法が印象的だが、全体のテーマとしては、「運命」であり、第1楽章序奏のファンファーレが全体の本質として高い重要性を持つ。この「運命」は絶大かつ幸福を築こうとする意欲を消失させるほどの力であり、ただ服従するしかなく悲観に暮れるしかない様な劇的かつ力強い主題が、本作品を印象付ける。

    第1楽章の序奏の後は9/8拍子のワルツであり、運命の力に対して徐々に絶望的となり、現実逃避しようとする様子を描いたかのような、劇的かつ不安定な舞曲となっている。短調で始まった後、光り輝くような長調のメロディも描かれるが、これはあくまで幻想的なものであり、運命の主題が度々登場することで、わずかな希望はその都度絶望に飲み込まれ、最後は悲劇的に楽章を閉じる。

    第2楽章は歌の様式によるものだが、全体的に哀愁が漂い、悲しみの末心がない。オーボエから始まる主題は人間の悲観さを表現し、中間部では過去の青春の追憶が、人生に歩み疲れた気分と混ざり合い、一時的な高揚感がロシア民謡とともに描かれる。そして、最後は青春の思い出が全て無碍となり、失恋の後の絶望と虚無感を抱いたかのように静かに楽章を終える。

    第3楽章は打って変わり、さながらワインを飲んだ時のほろ酔い気分だ。この楽章では弦楽器はピッツィカートという、弓を使わずに弦をはじいて演奏する方式を持続するのが印象的だが、これは気まぐれさや無邪気さを表現しているのだろう。弦楽器による農民舞曲・木管楽器を主体とした牧歌、ピッコロの技術さえ渡る独奏が印象的な行進曲が入り組み、3つのテーマが入り組んだ後、何事もなかったかのように遠ざかり消えていく。

    第4楽章はフィナーレにふさわしいどんちゃん騒ぎである。冒頭の強烈な音の流れは、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」第2楽章を思わせるものであり、当時の聴衆も圧巻したであろう。続いて旋律に引用されるのは、ロシア民謡「白樺は野に立てり」であり、幸福を喜び、生きることに感謝する人間の心のような安心感が印象的だ。しかしながら、第1楽章冒頭のファンファーレが再び登場し、絶望で楽章を押し潰そうとする。終結部では、多くの素朴な喜びを見出し、悲しみを克服するために生き続けようと前に進む音楽に、逆らえない圧倒的な運命の力が高笑うように加わり、束の間の歓喜の瞬間かのような熱狂的で激越な最後を迎える。

    なお、チャイコフスキーは自身4番目の交響曲を、自身のパトロンであったナジェジダ・フォン・メック夫人という富豪の未亡人に献呈している。フォン・メック夫人は、1876年から14年にわたりチャイコフスキーに資金援助を行っており、結果チャイコフスキーには経済的な余裕が生まれ作曲に専念できるようになった。チャイコフスキーとフォン・メック夫人が直接対面することは一度もなかったというが、2人の間には頻繁に手紙が交わされており、今回の献呈も自身を支えてくれることへの感謝の意や形の見えない愛が見受けられる。今回演奏する「交響曲第4番」は、チャイコフスキー37年間の中での人生の苦悩、失恋の衝動、パトロンへの愛が一体となり、逆らえない運命に挑む様子が描かれた、人間への讃歌のような作品である。

    新型コロナウイルスによる影響が未だに続いているが、我々MusicaPromenadeは、今こそオーケストラによる力強い演奏、抗えない運命への挑戦、社会活動の必要性を本作品の演奏通じて問うていきたい。

後援

立川市、立川市教育委員会、NPO法人ガバチョ・プロジェクト

演奏会チラシ:ムジカプロムナード 第17回演奏会

演奏会情報一覧に戻る