岩手県釜石市は県内でも有数の芸術文化の薫り高いまちであり、30年以上も市民の手による「ベートーヴェン第九演奏会」が続けられていたり、国内外の著名な演奏家が釜石を訪れたりしていました。その拠点となっていたのが釜石市民文化会館でしたが、東日本大震災により利用不可能となってしまいました。
そんな釜石市でも市民の皆さんの手によって、様々な形で芸術文化の火を絶やさぬべく活動が続けられてきました。今回私たちは、少しでもその活動を応援し、また市民の皆さんに音楽を通して明日へ進む希望を手にしてもらいたいという思いを込めて釜石で演奏することに決めました。
準備の段階では本当に大変なことが多かったのですが、そのたびに釜石の皆さんは全力でサポートしてくださいました。会場の提供からチラシやポスターのデザイン、宣伝広報活動や当日のスタッフ、楽器の手配、ピアノの調律、録音や撮影、これらはすべて地元の皆さんの温かいご協力で引き受けてくださったことですし、他にも多くの方々から演奏を楽しみにしていると励ましのメッセージを頂きました。釜石には常設のオーケストラはなく、生のオーケストラでクラシックの名曲に触れる機会はほとんどありません。まさに地元を挙げて我々の演奏を楽しみにしてくださっている、その思いを励みにがんばってきました。
本番前日、寒さと長旅の疲れ(東京を朝一で発っても釜石に着くのは昼過ぎになります)、体育館の慣れない音響の中リハーサルは困難を極めました。本当に演奏会は開催できるのだろうか?不安がよぎる中、暗い体育館を皆で後にしました。
そして迎えた本番当日。ガラガラだったら寂しいかなという心配が杞憂に終わり、椅子が足りなくなるほどの大盛況の中、「あまちゃん」が鳴り響いた体育館。フィンランディアもリストのコンチェルトも、昨日のリハーサルが嘘のように気持ちのいい演奏が出来ました。休憩をはさみブラームスの交響曲第1番。ベートーヴェンの第九を毎年演奏している釜石に、ベートーヴェンを敬愛して止まなかったブラームスが生み出した名曲が鳴り響いた瞬間でした。アンコールには会場の皆さんと「花は咲く」の大合唱。皆さんが、本当に心を込めて歌ってくださいました。会場がひとつになり、私たちの思いと皆さんの思いが歌に乗って体育館いっぱいに響き渡りました。
翌日、あいにくの天気のため予定されていた釜石音楽キャラバンの規模を縮小し、民宿宝来館にて地域の方への演奏を行いました。ここ宝来館は根浜海岸の目の前にあり、津波に際には岩崎昭子女将をはじめ多くの方が波に飲まれてしまいました。しかし女将はその後一命をとりとめ、宝来館は避難所として地域の方々の命をつないでいたのです。この日は女将にあの時のお話、そしてこれからのお話を伺った後、私たちの演奏となりました。小編成でのアンサンブル演奏の後、チェロと書道のコラボレーション、そして全員で「花は咲く」の合唱。宝来館では裏山に避難道とともに芸術を楽しむ舞台を建設する計画があります。ぜひ完成の暁には皆でまた演奏に来たいと思います。
キャラバン演奏は1箇所のみとなりましたが、その後市内の様々な施設や仮設住宅をめぐり、お話を聞いたり食事を楽しんだりおみやげを買ったり充実した一日となりました。釜石市民文化会館跡地や建設予定地も皆で見学し、ぜひまた釜石で演奏しよう、市民会館の杮落し公演をしようと誓い合いました。
今回の企画は、私たちにとって「音楽の力」を再発見する旅となりました。今回のメンバーは釜石出身者の指揮者とソリスト以外、それまで釜石に縁がなかったメンバーがほとんどです。そんな私たちが音楽を通して知らない土地、知らない人とつながって、元気や希望をもらう。音楽の力で少しでも釜石が、被災地が、日本が、世界が元気になる、微力ながらこれからも私たちはそう信じて音楽を続けていきたいと思います。